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研究成果トピックス-科研費-

イレズミを通して文化と感覚のつながりを知る

津村文彦(外国語学部・国際英語学科・教授)

公開日時:2022.10.18
カテゴリ: 文化人類学 タイ 東南アジア 呪術 宗教 身体 イレズミ 身体変工 地域研究 民間医療

研究情報

期間

2017~2019年度

種目

基盤研究(C)

課題/領域番号

17K03300

課題名

東南アジアにおける呪術的イレズミの人類学:知識と力をまとう身体の比較研究

期間

2020~2023年度

種目

基盤研究(B)

課題/領域番号

20H01411

課題名

アジア・太平洋地域におけるイレズミ研究の再構築:感覚・情動・力から照射する身体

取材日 2022-04-27

文化人類学を専門とし、東南アジア、特に東北タイの呪術と精霊信仰の研究をされている外国語学部・国際英語学科の津村文彦教授にお話を聞きました。

イレズミという概念を再構築したい

科研費で今まで行われてきた研究を教えてください

科研費でのイレズミ研究はこれまで3つの科研費で段階を追って進めてきました。第1段階は2014年度からの研究で、タイのイレズミの美と暴力について研究しました。2017年度からの科研費では東南アジア大陸部でタイと周辺国を比較する段階に進みました。これまでの過程で研究ネットワークが広がったので、2020年度からは研究グループを組織して、アジア・太平洋地域に範囲を広げたのが現在の研究になります。

 

「イレズミ」のもつ意味は地域ごとにまったく異なります。私たちはイレズミを見ると、身体の上に描かれた文様ばかりに注意が向いて、イレズミを特殊なもの、独立したものと捉えがちです。しかし、そうした「イレズミ」の概念自体が再構築されないといけないと考えています。イレズミは身体に埋め込まれているのと同じくらい、社会の中に埋め込まれています。

 

現在の科研費で注目しているのは、イレズミがもつ情動的な力です。イレズミを目にすると多くの人はギョッとするでしょう。そのギョッとする感覚を研究のとっかかりにしたいのです。従来の文化人類学はある事象が当該社会でどういった役割を果たしているかを機能主義的に説明しようとしてきました。しかし、その見方では何かを切り捨てているような気がしていました。たとえば、「成人儀礼の際にイレズミを彫ることから、イレズミは社会の一員をあらわす表徴である」「タイのサックヤン(呪術的な文字と絵柄のイレズミのこと)は仏教やバラモン教の影響を強く受けており、篤い信仰の表現である」とするのはもちろん間違ってはいないのですが、もう少しミクロな部分も考えてみたいということです。たとえば、イレズミを彫るとき人はどう感じるのか、自分のイレズミをほかの人に見せるとき、もしくは見せないときに当人はどう感じているのか、といった当人の感覚の領域はどうなっているのかということです。伝統的な人類学のように社会に近づき過ぎず、また心理学のように質的データに頼り過ぎず、個々人の生々しい感触を取り上げないといけないと考えています。

 

こうした感覚はいかにして記述可能なのか。私はほかに精霊や呪術の研究もしています。たとえば、「お化け」に遭遇したというときに、人はいったい何をもってそう感じているのか。よく「五感」と言いますが、たとえば唐辛子を食べたときに「辛い!」と感じるのは痛覚であって、味蕾で感じる味覚ではないと言われています。多様な感覚的経験が広がっているにもかかわらず、五感でまとめてしまうのはアリストテレス以来の西洋的伝統なんです。

 

タイで怪談を収集していると、その場にいる人たちが話の途中で「ほら、鳥肌が立った!」とわざわざ見せてくるんです。鳥肌を見せられるということに最初は違和感があったのですが、怪談話の真正性を証明するものが鳥肌なんだと気づきました。個人の身体感覚によって何かしらの真実性を証明しているわけですよね。感覚は生得的なもののように思いがちですが、そんなことはなく文化的に生成されるものなんです。

 

このように文化と感覚のつながりを考えていくと、今までぼんやりしていた部分が明らかになるので、「感覚」や「情動」を科研費のタイトルにも入れて新たな研究プロジェクトを始めました。人々がイレズミをめぐる経験をどんなふうに感じ取っているのかにいま注目しています。

 

なぜタイのイレズミに注目されたのですか

最初は呪術の研究から始まりました。タイの呪術は伝統的文字を道具に書きつけることで特別な力を発揮することを知りました。ではその伝統的文字がもつ力とはどのようなものかと考え、呪術的な力をもつとされる文字が身体に刻まれるイレズミに焦点を当てました。東南アジアでは呪術的文字は仏教経文であり、経典を読まれることで、身体のなかに内面化されるというような感覚を持ちます。経文をぼそぼそと読み上げた後で、フーッと息を吹きかけるのはタイの呪術的実践でよく見られる行為です。イレズミに注目することで、文字、呪術的な力、身体の結びつきを描くことができるだろうというのが当初のもくろみでした。

 

2022年6月にこれまでの研究の中間報告とも言える書籍が出版されます(山本芳美・桑原牧子・津村文彦(編)『身体を彫る、世界を印す—イレズミ・タトゥーの人類学』春風社)。イレズミは日本だとこわいと思われがちですが、それはイレズミのもつ、ある1つのイメージを過剰に取り上げているからなんです。イレズミは社会のなかのより広い現象の一部なのに、視覚的に目立つのでどうしてもそこだけを見てしまう。でも、イレズミを媒介することで、今まで見えなかった社会の異なった側面が描き出されることをこの編著で伝えたいと思っています。

 

彫り師は特別な人なのですか

タイでサックヤンを彫る人は、宗教的な専門家である場合が多いので、そういう意味では特別ですね。サックヤンは彫るだけではできあがりません。彫ったあとで、最後に呪文を唱えて息を吹きかけることによって特別なパワーが賦与されると考えられています。この特別な力を吹き込むことができるのは特定の人だけで、仏教僧侶や呪術師のような人たちです。呪術的なイレズミをもつことによって、幸運を招いたり、銃弾や刃物から身を守ったり、異性を誘惑することができたりすると考えられています。

 

どういった人たちがサックヤンを彫るのかというと、宗教的な信仰心の篤い人もいれば、若い人は単なるオシャレや強がりで彫ることも多いです。しかし、サックヤンには親に反対してはいけない、お酒を飲んではいけないなど、彫られる経文ごとに多様なタブーがあります。タブーを遵守することで呪術的な力が維持されると考えられるので、サックヤンを強く信じる人はタブーを守ります。すると、やがてその人は社会規範に沿った人物になる、つまり善良な人間に作り替えられていくと見ることができます。「なぜ若いギャングのような人たちに彫るのか」と彫師に質問したことがあります。彼らの答えは「彫ることで善い人間になっていくんだ、信仰心を持たせることで彼らを善良な道に戻していくんだ」というものでした。これだけでもイレズミの見方がガラッと変わるのではないでしょうか。

 

タイのサックヤンは密室で隠れて彫るのではなく、周りに人がいて見られながら彫ることも多いです。よく似ているのがタイの伝統医療で、その実践には周囲の目が付きまといます。現代医療では治療実践は個別のカウンセリングが主でプライバシー保護が重要になりますが、タイの伝統的な治療の形は、患者と治療師だけでなく、家族や友人、近所の人などが見守るなかで行われ、病状とその原因や対処法が周囲の人々も含めて認識されることで、患者を取り巻く環境自体が新たに組み替えられていきます。「イレズミが善き人間を作る」というのにも、同じロジックがうかがえます。個人の実践というより社会に組み込まれた実践なんですね。

 

ただコロナ禍にあって、イレズミ実践がどう変化しているのか、気になっています。イレズミの施術には身体接触が不可欠ですし、彫った後に息を吹きかけないと聖化されません。他者に息を吹きかけるなんて、コロナ禍にあってはあり得ない行為ですよね。こうした伝統的な実践がどれほど許容され、あるいは変化しているのか、現地に行ってみないとわからないことばかりです。イレズミに限らず、呪術的経験そのものが大きく変化しているはずなので、早く現地に行って人々の生の声を聞いてみたいです。

面白い・楽しいを伝えることも社会の役に立つ

科研費に対する思いを聞かせてください

申請書の作成から得られるものは多いです。自分のこれまでの研究をまとめ、次の研究へ展開していく作業にたっぷり時間を割くことになりますから、いろんなアイディアを整理するよい機会になります。大学に対して希望するのは、科研費を採択された場合の「時間的手当て」です。研究分担者も含めると3つから4つの科研費を抱えることもあります。それに加えて授業、会議、その他無数の業務があり、常に何かの書類作りに追われています。科研費の申請者を増やすための方策を考えるのなら、採択された際の「時間的手当て」が一番効果があると思います。

 

 


いま、社会実装や社会貢献と盛んに言われていますが

個人的にはあまり狭くとらえないでよいと思っています。「社会実装」と言うと、何かの原理や機構がすぐに何かに応用できてお金に結びつくもの、という発想があまりに強い気がします。もちろんお金儲けにつながればよいのですが、豊かさはそれだけではなく、心の豊かさにももっと目を向けて欲しいです。もちろん、どんな研究でも社会貢献のあり方を説明することはできます。たとえば、日本のイレズミを取り上げても、温泉タトゥー問題*1やタトゥー施術に関する医師法違反事件*2など、イレズミは社会問題化することが多い領域です。こうした混乱の背景にあるのはイレズミへの偏見であるため、まずはイレズミについて正しい情報を社会に提供する必要があります。そのためには世界のイレズミのあり方を十分に認識して・・・というような説明ができます。でもそういった社会的混乱の解消というよりも、サックヤンの話を聞いて、単純に「そんなことがあるなんて面白い!」と楽しむ気持ちを大事にしたいと考えています。学問には「好奇心を刺激する」というとても重要な使命があります。このことは十分に社会貢献だろうと考えています。こんなに興味深い話があるんだということを知り、人々がそれを楽しむことができれば、人々の価値観やモノの見方が多様化し、よりよい世界になっていくのだろうと考えています。

 

「社会実装」という切り口も重要ですが、社会実装の前段階の基礎研究についても、研究費が存分に与えられるのが現在の科研費です。科研費はピアレビュー(同分野の専門家評価)なので、研究の意義がほかの研究者が納得のいくものであれば認められます。なので、自分の研究について、その意義をいろいろなレベルできちんと説明できるということがとても重要になります。「伝え方」「見せ方」が科研費の採択についてはとても重要なところだと思います。

 

 

【補注】
*1 北海道恵庭市の温泉施設で、マオリ族の伝統的なイレズミを顔に入れていたニュージーランドの先住民族の女性が入浴を拒否されたことがニュースになるなど、日本では多くの入浴施設で「イレズミやタトゥーのある人は入浴お断り」を掲げているが、近年訪日外国人観光客が大幅に増加すると共に、国内でもファッション性の高いタトゥーを彫る若者が増加し、たびたび議論が起こっている。

*2 大阪府吹田市のタトゥーショップにおいて、医師免許を持たない彫り師が医師法17条に違反して、「医業」を行ったとして起訴された事件。一審で有罪、二審で無罪、最高裁で上告が棄却され無罪が確定した。最高裁が「医行為」の定義と該当性判断基準について初めて判断を示したものになった。


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