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研究成果トピックス-科研費-

文化や技術の歴史から日本の建築そのものを考える

米澤貴紀(理工学部・建築学科・准教授)

公開日時:2023.10.19
カテゴリ: 神仏習合 日本建築史 宗教建築 修験道建築 大工技術

研究情報

期間

2015~2018年度

種目

若手研究(B)

課題/領域番号

15K18195

課題名

習合神道儀礼の場の復原的研究―神道書の分析を通して―

期間

2019~2021年度

種目

基盤研究(C)

課題/領域番号

19K04815

課題名

修験道建築に関する基礎的研究 遺構調査と儀礼の場の復原的分析を通して

期間

2022~2024年度

種目

基盤研究(C)

課題/領域番号

22K04526

課題名

蓬左文庫蔵「伊藤満作家資料」の基礎的研究

取材日 2023-09-28

『建築文化史』や『建築技術史』がご専門で、『神仏習合』という日本の特徴的な現象に基づいた宗教建築や密教の儀式である『灌頂』などの儀礼空間や修験道建築について研究されている理工学部・建築学科の米澤貴紀准教授にお話を聞きました。

 

 

たくさんの情報を集めて謎解きをしていく

どんな研究をされていますか

本棚を見ていただいたらわかると思いますが、建築学科にもかかわらず、ほとんどが歴史や文系の書籍なので、いらっしゃった方は口を揃えて「文学部教員の研究室みたいだ」とおっしゃいます。

 

私は大きく言うと建築の歴史を研究しているのですが、そのなかでも『建築文化史』と『建築技術史』という2つの方向性で進めています。『建築文化史』では、主に宗教建築をテーマとしています。神道と仏教は今は分けて考えられていますが、昔は神様と仏様は同体だという考えがあって、信仰の空間や建物における神仏の分け方が今よりもずっとゆるやか、もっと言うとくっついているような状況だったんです。そういった『神仏習合』と呼ばれる現象が、建築や空間にどのように表れたのかを詳しく調べるという研究です。

 

明治時代以降に、建築は理系の『工学』という学問として系統立てられて、神様と仏様、寺院と神社は違うものだと分けて理解されるようになりました。両者の接点であるところの『神仏習合』という現象が顧みられることがほとんどなくなってしまったんです。ただ、その両者が交わったところは独特の造形や空間を生み出す力があって、仏教でも神道でもないこの独特なものを理解せずに、日本の建築の歴史は語れないのではないかと思って取り組んでいます。

 

僧侶や神官が建物をどんな風に使って儀式を行ったかが間取り図や文字で残っています。それを現存している建物や絵巻物に描かれている建物の絵などと照らし合わせて考えることで、昔の建物がどんな風に使われて、なぜこの形なのかが見えてきます。文字・間取り図・絵・実物などさまざまなところから情報を集めて謎解きをしていくようなイメージですね。

 

寺院と神社は現在でも比較的近い位置にいる感覚がありますが、昔はもっと近かったのでしょうか

そうですね、今はむしろ距離が離れてしまっている印象で、昔は1つの境内に寺院と神社が一緒にあるという姿が普通でした。神社で僧侶がお経を読むという世界です。ただ、明治時代に神道と仏教を分けようという動き(神仏分離)があったことで、分けて理解していこうという考えが主流になりました。建築形式的にも神社の本殿建築と寺院の本堂建築は違うデザインなので、分けやすかったということもあります。ただ、この辺りで言うと、知立神社には多宝塔という仏教由来の塔が建っていますし、京都などにも数は少ないですが寺院と神社が一緒になっているところが今でも残っています。

日本の建築は独自の好みでガラパゴス的な進化を遂げている

『建築技術史』についても教えてください

大工たちは自分の技術を弟子や子孫に伝えるために文字に書き残すということを中世以降に始めるんですが、私はその資料を基に、彼らがどういう手順でどこにデザインの中心をすえて設計していたのかを復元して、日本の伝統建築とは何なのか、日本建築とはそもそも何なのかというところまで、考えていくということをしています。

 

日本独自の建築が海外と比べて一番大きく違うところは何でしょうか

設計という点で見ると、整然とした姿に作り上げることに対するこだわりの強さは、東アジアの木造建築のなかでも特異ですし、木材でなければ作れない細い部材がきれいに等間隔で並んでいることに美しさを感じるというのは、石造りの彫刻的な表現に比べても独特の感性なのではないかと思います。木造建築の文化は、中国を中心に東アジアで発展してきたのですが、日本は独自の好みに合わせたガラパゴス的な進化を遂げていると言えると思います。スギやヒノキといったやわらかくて加工しやすい木材や、日光東照宮で見られるような彫刻に適したケヤキのような硬い木材といったさまざまな種類の木材が調達できるというのは、日本の木材建築の幅を広げた大きな要因の1つですね。ある意味、これもカーボンニュートラルと言えると思います。

たくさんの記録や実際の建物から歴史をひも解いていく

科研費ではどんな研究をしていますか

若手研究(B)では儀式の研究をしました。仏教のなかでも密教と呼ばれる真言宗や天台宗では『灌頂(かんじょう)』という大切な儀式があります。この灌頂で『阿闍梨(あじゃり)』という身分になると、弟子に指導ができるようになります。この資格の伝授を儀式として行う『灌頂』という形式が中世の貴族や僧侶の間で大流行しました。ありとあらゆるものに対して『灌頂』と名付けた儀式をおこなって、秘奥・秘伝を伝授・継承したんです。和歌灌頂なんてものもありました。

 

神道においても、日本の神様を真言宗や天台宗の理論で理解した神仏習合の神道が存在します。神様に仕える者としての修行や理解の達成度合いを示すためにそこでも灌頂を行うんです。この灌頂の『舗設(しつらえ)』すなわち会場設営と、次第は密教のそれを元に造られるので、当然非常によく似ています。ただ、飾られているものなどは全然違うし、次第にも異なる部分があります。この2つの空間を比べた時に、いったい何が違うのか、なぜ違うのか、そもそも新宗教を立ち上げる時に、既存の宗教儀礼の経験を生かしてどのように空間を造形していくのか、を研究しました。

 

次の基盤研究(C)はそこから派生していて、神仏習合のことを調べていると『修験道』がよく出てくるんですよ。修験道では山の中に大きなお寺が作られたり、絶壁のくぼみに投げ入れたかのようなお堂があったり、そんな大変な場所に建物を作るエネルギーって何なのかという疑問が生まれてきます。これは神とも仏とも違う信仰のもとに作られたものなんです。神社建築や寺院建築だけでなく修験道建築があるんじゃないか、仏教と神道だけでなく、山岳修行も混ざったぐちゃぐちゃとした信仰を捉え直して、修験道独特の形態と特徴を調べるという研究です。

 

修験道の一団は厳密に序列があって、座る順番さえ決まっています。『先達(せんだち)』と呼ばれる人を先頭に縦並びで座って儀式をおこない、修行の途中で立ち寄った場所でさえその並びで座ります。厳しい山道を歩くので、みんな一緒に仲良くというより、先輩が後輩を厳しく指導するという集団の在り方が建築造形にも影響していて、修験道建築は通常の寺院に比べて、奥行きのある建物が多いということがわかってきました。

 

現在進行中の基盤研究(C)は、建築技術史の分野で、尾張徳川家が元々所有しており、本学建築学科の伊藤三千雄元教授が名古屋市蓬左(ほうさ)文庫に寄贈された『伊藤満作家資料』の研究です。これは、伊藤元教授の先祖で高名な大工だった伊藤満作が持っていた資料です。伊藤満作は、尾張徳川家の御用大工だった伊藤平左衛門の一族で、本人は次期当主になる可能性もあった実力の持ち主でした。そんな伊藤平左衛門や伊藤満作が描いた図面や仕事に関する見積もり帳などが含まれているんですが、今は簡単な目録があるのみでまだちゃんとした整理と評価がなされていません。それを行い、ぜひ広く一般に使える状態にしようというのがこの研究です。

 

伊藤満作は明治時代に洋風建築にも従事したのですが、蓬左文庫にはその設計図面もたくさん含まれているので、彼らがどういう風に西洋建築をデザインしていたのかがわかりそうです。あとおもしろいのは、江戸時代は和紙に筆で書かれていたものが、鉛筆が使われるようになったり、色鉛筆で色を塗るようになったり、大工を取り巻く道具が変わっていく様子が見られることです。図面の書き方自体も変わっているので、まさに明治という時代に適合していく大工の姿が浮き彫りになる資料ですね。

 

 

『建築』と『歴史』はとても近い存在

文系と理系の両方の側面がありますね

古文書や資料について、文系の研究者とお話する機会があるのですが、建物が関わるものについては、やはり建築の知識がないと何が書いてあるか理解するのが難しいと感じます。建築は機能性を考えて作られているので、建築に関するものを適切に評価するためには建築の知識がないと難しいですね。

建築史の研究者はこうもりみたいなところがあると思っていて、獣みたいだけど獣じゃない、鳥みたいだけど鳥じゃないみたいな。建築のほかの分野の研究者に知恵を借りることもあれば、日本史・宗教学・文化人類学の研究者から協力を得ることもあるので、まさに一人文理融合と言えるかもしれません。

 

『建築史』という研究分野に進まれたきっかけは何ですか

父が設計士だったので、建築には幼いころから慣れ親しんでいましたし、古い寺社をよく遊び場にしていたので、とても身近に感じていました。なので、『建築』と『歴史』は自分のなかで決して距離のあるものではなくて、お互い近い存在だという認識を幼いころから持っていましたね。直接的には、大学3年生の時に中川武先生(早稲田大学名誉教授/現・博物館明治村館長)の講義で興味をひかれたというのがあります。元々歴史が好きでしたし、設計などよりも建築そのものを考える方が大事な気がして、これしかないと思って建築史を選びました。

科研費申請は研究の見直しや節目になる

科研費の良いところをあげてください

研究の信用度が上がるということでしょうか。自分の研究が勝手にやっているのではなく、学問として認められている、特に私のような建築なのか歴史なのかよくわからない分野で、修験道のようなちょっと不思議な世界を研究していても、ちゃんと研究として認識してもらえるというのはとてもありがたいことです。

 

ほかには、日本建築史を専門とする人が審査員にいることは少ないと思うので、そういった審査員に対して、自分の研究の価値をわかってもらうように申請書を書くというのがすごく良い経験になっています。成果発表や講演をする時にはこういう風に話せば良いだろう、最初にこんな絵があればわかってもらえるだろうとぱっと浮かぶようになるので、これも大きな良いところの1つです。

 

申請書を書くのは苦労しますか

そうですね、でもだんだん自分のなかで書き方の型がある程度できてきたので、テーマが変わってもそれに則って書けるようになってきました。私は完成形から逆算して書くんですが、書き続けてきたことで最初のころに比べると楽になってきたと感じています。

 

今まで不採択だったことはありますか

ありますあります。不採択だったら当然へこみますけど、科研費は審査過程もいろいろとあるので、たまたま理解してもらえない審査員にあたったんだなくらいに思って、そこまで気にしないように心がけています。不採択でも評価はもらえるので、ダメだったところをどう変えたら伝わるのかと考えて次に生かすようにしています。たとえ不採択でも研究は継続して、それをちゃんと次の助走期間にして、申請し続けることが大事だと思っています。

 

 

工夫しているところは何ですか

私の研究分野はなんとなくイメージでわかってもらえてしまう分野ではあると思うんですよ。最初にすごく難しい専門用語が出てくると、「うっ」っとなってしまうけど、日本の文化や歴史であれば、高校まででやったことあるな、というのがあるので、できるだけそこに引っかかるような、有名なお寺の載っている地図や評価する現物の資料の写真なんかを載せることにしています。とっつきやすく、読んでもらいやすく、読む側の心のガードを下げるようなインターフェースにするといいんじゃないかと思ってやっていますね。

 

申請する前に事前準備はしますか

各パートの内容については、ある程度事前に準備しますね。どちらかと言うと、私は最後にできてくるビジュアルをまずイメージして、そこにたどり着くように各パートをレイアウトしていくことが多いので、各パートの文章をそれぞれ書いているんですが、当然全部は入りきりません。どこを削ろうかと推敲していくと読みやすい文章になっていきますし、無駄を削っていく過程で、「これでは伝わらない、伝わらないということはそもそも見当違いなんじゃないか」など、研究の内容自体にフィードバックしていったりもします。名城大学は学内研究費に恵まれていると言われることがありますが、その分事前準備がしっかりできて次の申請に活かせるので、そこが整っているのはありがたいと思っています。

 

また、科研費の申請は研究の見直しや節目になると思っています。「今までやってきた研究はこれで、これからこんな研究をやります」というような。そういう振り返りや今後を決めるために申請書を書くという作業はすごくいいツールになっているなと感じています。学術研究支援センターが毎年発行している『科研費申請書書き方ハンドブック』はとてもわかりやすくて参考にしていますね。

いろいろな日本を海外の人たちに知ってもらえるきっかけに

社会実装や社会貢献についてはどうお考えですか

建築学科に在籍していながら、実学ではない分野なので、直接的に社会の役に立つかと言うと難しいですね。でも、講演などで古い建物の魅力やその建物を使うおもしろさや大切さを伝えることで、「スクラップアンドビルドではなく、現存している建物を使っていこう」といった文化的な理解のもとに、持続的な社会を作っていく基本的な社会の意識や文化の醸成には役立っているのかなと思っています。すごく遠回りですけどね。まさに『歴史』って即効性はないけれど、じわじわと長く効くみたいなところはあるので、みんなが「それが当たり前だよね」と思ってくれるような土壌を作る分野だと思っています。

 

ほかにはやはり今は『インバウンド』ですね。日本文化はすごく紋切り型で理解されていますよね。その紋切り型に飽きた人たちが続々と来日し始めています。京都奈良ではない地方に訪問したり、滞在して楽しんだりしている人たちに、「日本にはね、神仏習合の世界があってね、大工は建物をこんな風に考えて設計していたんですよ」と言うと、興味を持ってもらえると思うんですよね。日本をちゃんと知ってもらうという点でもとても役に立つんじゃないかなと思っています。


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