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研究成果トピックス-科研費-

経済学がどのように社会科学として誕生したのか

門亜樹子(経済学部・産業社会学科・准教授)

公開日時:2022.11.04
カテゴリ: バルベラック キケロ トマス・リード キリスト教 啓蒙主義 義務論 ティロットスン スコットランド啓蒙

研究情報

期間

2020~2024年度

種目

基盤研究(C)

課題/領域番号

20K00097

課題名

バルベラック道徳思想のスコットランド啓蒙における継承と展開の研究

取材日 2022-06-10

社会思想史がご専門で、フランス出身のカルヴァン派(ユグノー)の知識人ジャン・バルベラックの著書『道徳哲学史』(ドイツの法学者ザームエル・プーフェンドルフ著『自然法と万民法』(ラテン語)のバルベラックによるフランス語訳版に記された「訳者序文」のこと)や『娯楽論』の翻訳を通して、古典派経済学形成期の研究をされている経済学部・産業社会学科の門亜樹子准教授にお話を聞きました。

 

経済学は文系と理系の両方を兼ね備えた学問

科研費でされている研究について教えてください

 まず研究の目的は、ジャン・バルベラックという人物の道徳思想が、スコットランド啓蒙においてどのように継承・展開されたかを解明するというところにあります。バルベラックは、近代自然法学のヨーロッパ大陸への普及に重要な役割を果たしました。近代自然法学は、国際法の父と呼ばれるオランダのフーゴ・グロティウスによって創始されて、17世紀にドイツの法学者ザームエル・プーフェンドルフが三義務論(神・自己・他者への義務)に基づく自然法学体系を提唱しました。その後、18世紀のヨーロッパでは、学問の共通言語がラテン語からフランス語へと移行します。バルベラックがグロティウスやプーフェンドルフのラテン語の著作をフランス語に翻訳したことによって、グロティウス以後の自然法学に関する議論は簡素化され、スコットランドの道徳思想へ継承されることになりました。

 

それにも関わらず、バルベラックという人物はあまり広く知られていません。思想史研究の分野でも、大陸の自然法学をヨーロッパに普及した翻訳者、もしくは紹介者と位置付けられてきました。しかし、バルベラック自身も1709年に『娯楽論』という本を書いています。正統派のキリスト教思想においては、娯楽や人間の欲望は批判されており、来世のために人間は現世ではつつましく生きるべきであるとされていました。対してバルベラックは、人間は正統派のキリスト教聖職者が奉じた禁欲主義的道徳に従う必要はなく、適正な範囲内であれば欲望を追求しても構わないし、労働の余暇として娯楽を位置づけてもよいと主張しました。

 

当時のヨーロッパは、みなさんが考えておられる以上にキリスト教が影響力を持っていて、伝統的なキリスト教的人間像では、人間の無力さが強調され、人間は神の恩寵を待つしかない存在だとみなされていました。そんななかで、バルベラックは娯楽や欲望、世俗生活、社交などを肯定的に捉えて、より現実世界に即したキリスト教道徳を導き出しました。

 

一方、教会知識人が主流派を占めたスコットランド啓蒙においても、アダム・スミスが主著『国富論』のなかで人間の利己心の意義を強調しました。利己心もキリスト教道徳のなかでは否定的に捉えられており、「7つの大罪」、いわゆる傲慢や貪欲などは、キリスト教道徳的には悪徳とされていたにも関わらず、アダム・スミスは傲慢の源泉となる利己心こそが経済活動の発展の原動力になると主張しました。グラーズゴウ大学の道徳哲学教授を務めていたアダム・スミスは、グラーズゴウ大学の道徳哲学講座の系譜において重視されていた、キリスト教の根本思想である三義務論を排した道徳哲学体系を構築しています。アダム・スミスの後任として選ばれたトマス・リードは、アダム・スミスの体系を「selfish systems(セルフィッシュ・システムズ)」、つまり「利己的な体系」だと批判しているので、アダム・スミスもスコットランド啓蒙においては異端であったわけです。

 

アダム・スミスが構築した人間の利己心に基礎づけられた世俗的な道徳哲学体系が、経済学を生み出す母胎にもなったわけですから、経済学を生み出す根源となったところと、キリスト教聖職者から異端視されたバルベラックの道徳思想に見られる啓蒙主義的要素との関連性を探究したいと考えています。

 

研究は具体的にどのように進められるのですか

やはり一番重要になるのは原典研究ですね。バルベラックの原典はフランス語、アダム・スミスの原典は英語で書かれています。翻訳というのは実はとても難しいんです。内容をちゃんと理解するには、原文を読んで一旦自分ですべて訳してみて、その後に入手可能な日本語訳のすべてと照らし合わせることが必須です。翻訳からイメージした言葉とは全然違う言葉が原文に使われている場合が結構ありますし、やはり原文を読まないと本当に理解したという実感がなかなか得られないですね。本学大学院の「経済思想研究」の授業で、アダム・スミスの『国富論』を原典講読しているのですが、同じ感想を述べた院生がいました。

 

私は2017年にバルベラックの訳著『道徳哲学史』の翻訳を出版したのですが、翻訳の際にはフランス語の原文に加えて、プーフェンドルフの『自然法と万民法』の英訳版に掲載されている該当部分も参照しました。実は、『道徳哲学史』は当初この英訳版を読んでいたのですが、大変難解に感じました。というのも、英文が原文の内容を詳細に説明するための文章になっていて、かえって英訳版の方が難しく、フランス語の原文の方が簡潔に書かれていることが多かったんです。そのため、フランス語の原文の精読に取り組んだ上で、誤訳を避けるために英訳版も参照しました。

 

翻訳と言うと、日本語に訳すだけの簡単な作業だと考えている人が多いと思います。実際、翻訳は研究業績としてカウントされにくい現状があります。私も実際やってみて、相当な知識と年季が必要な大変な仕事だと改めて痛感しました。

 


社会思想史を専門とされたきっかけはなんですか

元々私は理系志望だったのですが、文系志望に変更した後にどの学部へ行こうかと考えていた時に、たまたま読んだ佐和隆光先生の『経済学とは何だろうか』に「経済学は理系と文系の両方を兼ね備えた学問である」という主旨のことが書かれていて、「経済学」とはどんな学問なんだろうと関心を持ちました。それが経済学部を志望したきっかけですね。

 

経済学部に入って、それまで理系志望だったこともあり、社会科学についてまったく素養がなかったので、いろいろな新書や入門書を読んで調べていくなかで、次にその歴史に関心を持つようになりました。その後、社会思想史を研究されている先生のゼミに入って、パラダイム論で知られているトマス・クーンの『科学革命の構造』を読む機会がありました。そのときに、現在の経済学は理系の要素が強くなっているけれど、そもそも社会科学はどのように誕生したのかということに関心を持ち、社会思想史を専門に研究することにしました。経済学部の場合、主に近代の思想が対象となるので、かなり漠然としていますが、「動き」のある時代というイメージを持っていて、そこがとてもおもしろいなと思いました。

 

ヨーロッパ思想の2大潮流として、ギリシャ・ローマの古典哲学とキリスト教思想があって、両方が絡み合ってヨーロッパの学問は形成されていきました。道徳哲学は非常に幅広い学問で、人文科学と社会科学を両方兼ね備えた分野です。道徳哲学は精神哲学と自然哲学、つまり、精神と物質を対象とする学問分野に2分され、精神哲学が広義の道徳哲学に該当します。心理学、自然神学、倫理学、家政学、政治学、論理学などが含まれます。たとえば、アダム・スミスの後任としてグラーズゴウ大学の道徳哲学講座教授に就任したトマス・リードの学問体系は、ニューマトロジー(霊学)、倫理学、政治学から構成され、政治学には統治形態論と生活行政論(police)が含まれます。生活行政論はアダム・スミスの『国富論』の大部分をなすものです。道徳哲学はヨーロッパの古代から連綿と受け継がれてきた基礎学問で、その上に各分野の細分化された学問がどんどん構築されていきます。そういう観点で、経済学がどのように社会科学として誕生していったのかという関心を持っています。

 

自分の研究が報われたと感じた

科研費に関して思うところを教えてください

名城大学に赴任する前は、京都大学経済学研究科でジュニア・リサーチャーとして研究をしており、研究資金を獲得するために、科研費などの外部資金に応募する身分が保証されていました。ただ、科研費のために新たに研究課題を考えるということはなく、元々の自分の研究に対して資金的な援助が得られればと思って応募しています。最初に申請した若手研究(B)では、研究目的や研究計画・研究方法に何を書けばよいかがわからないという状態だったので、研究目的にはHow(どのように)、研究計画・方法にはWhat(何を)を書けばよいというような基本的なアドバイスが非常に役に立ちました。また、項目ごとに5段階の評価基準が設定されており、平均して3~4点以上の評価が得られるように書くことも教えていただきました。具体的には、相手から反証されないように、可能なかぎり客観的な視点から眺めて、論理の穴を減らすということでしょうか。これは、論文などを書く時に注意することとあまり変わらないので、そこまで難しく考える必要はないと思います。

 

初めて採択されたときは、自分の研究が認められたと感じましたね。社会思想史という分野でもバルベラックや、私はラティテュディネリアン(17世紀イングランドの国教会で穏健な立場を守り、理性を重視した神学者や聖職者のこと)の研究もしているのですが、あまり注目されてこなかった人物や分野なので、時々研究の意義は本当にあるのだろうかと不安を抱くことがありました。だから、科研費が採択されたことで報われたという思いを持ったのは確かですね。

 

正直に言うと、科研費は長期スパンで研究計画を提出しますが、完全に計画通りに進められることはまれです。実際に原典を読んで研究をしていくと、思ってもみなかったところから思ってもみない方向に研究が進んでいくことがあります。それは決して悪いことではなく、むしろ研究の副産物として非常によいことだと思っています。計画通りにいくことだけがよいことではなく、そこから外れてもよいのではないかと考えています。原典研究というのは、たとえるなら大きな山を登るための道筋をあれこれ探しているようなもので、この道を行けばある程度登ることができるのではないかと思っても、だいたい行き止まりであることが多いです。そうかと思えば、まったく予想していなかったところから新たな展開につながっていくこともあるので、長期的な視点で進めないと本当の成果というのはおそらく出てこないのだと思います。ですので、そういう大きな成果を得るための基礎研究を認めてくれて、研究計画の変更にも対応してくれる科研費は大変意義のある研究費だと考えています。


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