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<開催レポート>森 和俊 特任教授 就任記念特別講演会 「小胞体ストレス応答解析の黎明期」を開催(2024/6/12)

公開日時:2024.07.08
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名城大学薬学部と総合研究所は、京都大学高等研究院の森和俊特別教授の本学特任教授就任を記念して、2024年6月12日(水)に名城大学八事キャンパスライフサイエンスホールで特別講演会を開催しました。当日は学内の研究者・学生を中心に約240名が参加しました。

 

森特任教授は、細胞内の品質管理のはたらきをする「小胞体ストレス応答」の仕組みを解明し、2014 年にノーベル賞の登竜門ともいわれるアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞。2018 年には文化功労者に選ばれており、ノーベル生理学・医学賞の有力候補として注目されています。

 


 

まず、小原章裕学長から開会のあいさつがありました。小原学長は「本学でも生命科学分野におけるさまざまな取り組みが行われているが、森特任教授からのアドバイスによって、さらに大きく飛躍することを期待している。また、本日のご講演から知識を得るだけに留まらず、本講演をきっかけとして、2026年に開学100周年を迎える本学の薬学系、理工学系、農学系などのそれぞれの英知が結集し、総合知を持って素晴らしい発展を遂げることを期待している」と述べました。

 

続いて、神野透人薬学部長からもあいさつがありました。神野薬学部長は「名城大学薬学部は、薬剤師国家試験合格率2年連続全国第一位という輝かしい成果が示す、充実した薬学教育と共に、学生のみなさんの問題解決能力・課題発見能力に直結する研究力の向上にも取り組んできた。本日の講演では、森特任教授の研究における学術的な意義とともに、森特任教授のお人柄、熾烈を極めた先陣争いに臨まれたその覚悟と勇気にじかに触れて、みなさんの研究のモチベーションをさらに高めて欲しい」と述べました。

 

最後に、本講演会の座長である山田修平教授(薬学部)から、森特任教授の略歴紹介があり、講演は開始されました。

 

 

小胞体ストレス応答解析の黎明期 -熾烈を極めた大物研究者との先陣争い 大逆転を可能にした覚悟と勇気-

小胞体ストレス応答とは

はじめに森特任教授は「今日お越しのみなさんはさまざまなバックグラウンドをお持ちだと思うので、本題の前に知識の整理をしたい」と話し、生命の基本単位である細胞そのものやDNAとタンパク質の関係などを説明しました。

 

講演タイトルにもなっている小胞体ストレスについては「すべての細胞のなかには分子シャペロンと総称される特殊なタンパク質が存在していて、これがタンパク質の形作りを助けている。小胞体という小器官には、この分子シャペロンが多種多量に存在していて、ここで良い形になったタンパク質は、ゴルジ体を通って細胞外や細胞奥にある目的地へ到達する。すなわち、小胞体はタンパク質の品質を管理する役割を果たしているということがここでわかる。しかし、シャペロンがあっても、状況によって形作りがうまくいかずに構造がおかしなタンパク質が蓄積してしまうことがある。これを『小胞体ストレス』と呼んでいる」と述べました。

 

続いて「この時、非常に大きな問題があって、良い形になったものだけが目的地へ進むということは、小胞体ストレスの状況が続くと、目的の場所に目的のタンパク質が足りなくなってしまうということが起こる。また、分子の中に閉じ込められていた疎水性のアミノ酸が露出し、ほかのタンパク質と不適切な相互作用をして、タンパク毒性を発揮してしまうこともある。すなわち、小胞体ストレスは細胞にとって非常に有害な状況となる」と述べ、この時どうすれば元の良い状態に戻れるかということを考えてみて欲しいと参加者に問いかけました。

 

その回答として「細胞は『シャペロンの人手が足りないから構造異常タンパク質が溜まる』と考えて、シャペロンを増やして構造異常タンパク質を修復しようという反応をし始める。具体的には、構造異常タンパク質の蓄積という情報を核に伝えると、シャペロンの遺伝子転写が活性化される。そうして増加したシャペロンが、構造上タンパクを修復することによって、恒常性を維持するという仕組みを備えている。これを『小胞体ストレス応答』と呼んでいる」と述べました。

 

続けて「細胞内には小胞体の品質管理能力だけでなく、それがうまくいかないと修復しようとする危機管理能力が備わっているということがわかった。小胞体に構造異常タンパクの蓄積というシグナルが入ると、最終的にシャペロン遺伝子転写が活性化されるという遺伝子発現の変化が起こる。そして、このシグナルを受け止める受容体もしくは転写因子を探して、受容体から転写因子にどのようにシグナルが伝わるかということを解明できれば、シグナル伝達経路は解明できたということになる」と述べ、ここまでを知識の整理としました。

 

熾烈を極めた大物研究者との先陣争い

聴衆が森特任教授の話に聴き入るなか、いよいよ話題はサブタイトルにもなっている『熾烈を極めた大物研究者との先陣争い 大逆転を可能にした覚悟と勇気』に入っていきました。

 

森特任教授は「私は1989年にテキサス大学に留学して、Joseph SambrookとMary-Jane Gething夫妻の共同研究室に入った。小胞体ストレス応答の原型は1977年頃にすでに明らかにされており、当時すでに10年ほど歴史があったのだが、はっきりした結果になっていなかった。そのため、彼らはそのまま哺乳類の細胞を使っていても大きなブレイクスルーはできないと考え、単細胞の真核生物である出芽酵母を使うことにした。翌年に酵母にも小胞体ストレス応答が備わっていることがわかったので、これが大英断で大きく研究が進んだ」と話し始めました。

 

続けて「私は1989年4月にこの研究室のポスドクになったのだが、このタイミングが絶妙だった。小胞体ストレス応答というシステムの存在はわかっていたが、それに関与する分子がまったくわかっていないという状態で、ゼロから始められたのは非常に幸運だったと思う。日本に居たときは全然知らなかったけれど、アメリカに行ってたまたま出会った『小胞体ストレス応答』に魅せられて35年が経過した」と述べました。

 

実際にどのような研究に取り組んだかという話では「小胞体ストレスを感知する受容体もしくは転写因子を見つけるためには、生化学的手法と遺伝学的手法の2つの方法がある。シャペロンのプロモーター解析はうまくいったので、続けて生化学的手法できちんとやるのが王道だったが、私は大学院生時代に生化学をやっていたので、タンパク質の精製は何回も経験していた。せっかくアメリカに来たのだから、何度も経験した手法ではなく、自分の幅を広げるために、遺伝学的手法に挑戦したいと考えた。小胞体ストレスが生じてもシャペロンが増えないような変異株を取り出せたら、欲しい遺伝子が取り出せるんじゃないかと考えた。シャペロンが増えるとコロニーが青くなるという状況を作り、小胞体ストレス応答が働いているものは青くなって、うまくいかないものは白くなるという単純に色で選別できる方法を取った。ここからは肉体労働で半年間ひたすらスクリーニングを繰り返して、半年後にようやく白いミュータントが3つ取り出せた。さらに苦しい半年を経て、Ire1という傷ついた遺伝子の傷を治す遺伝子を1つだけ取り出せた。10万個からたった1個だけ取り出せた」と話しました。

 

このさらに苦しい半年とは、ミュータントを3つ取り出せたと喜んでいるところに、酵母遺伝学の専門家であるMark Rose氏がミュータントを5つ取り出したことを発表したと耳にして、彼に先んじて遺伝子を取り出せないと、自分の未来はなくなってしまうと思い悩んだことにあったそうです。試行錯誤してもうまくいかず、精神的にも不安定になって苦しんでいた森特任教授。さて、どう打開したのでしょうか。

 

森特任教授は「ある時、この苦しんでいる状況はますます相手の有利になるだけだから、負けることは考えないようにしようと決めた。そうするとアイデアが生まれて、遺伝子を取り出すことができた。一方でMark Rose氏は5つのミュータントを取り出せたものの、遺伝子は取り出せずに小胞体ストレス応答の分野から離れていった。その時以来、研究は強そうな者が必ずしも勝つわけではないということを肝に銘じて、競争に負けるということは考えないことに徹している」と熱く語りました。

 

そして1993年「小胞体ストレス応答で働くタンパク質(Ire1)が取り出せただけではCellで論文発表できないと考え、さらなる実験をコツコツ行っていた。その矢先、Peter Walterという研究者がまったく同じIre1を取り出して、それが論文になるという情報が入ってきて、6月に論文が本当に出た。出されてしまった」と語りました。このPeter Walterという人物について、森特任教授は「大学院生の時にJournal of Cell Biologyに素晴らしい論文を続けて3つ発表した。その論文を読んだ、当時修士1回生の私は『こんなすごい研究ができるのか、いつかこんな美しい研究をしたい』と感動した。これがまさか後に直接戦う相手になるとは思いもしなかった。その後もNatureに素晴らしい論文を発表した彼は、いきなりUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)の教授になったので、当時から大きな政治力を持っていた」と述べました。そして「そんな彼が我々から先んじるために、政治力も使って、Ire1を取り出したというのみで、タンパク質レベルの解析などをせずに、論文発表したことがわかったので、我々はあきらめずに実験を進めた。その結果、極めて異例だが、同じ研究であるにもかかわらず、我々の内容の方が充実していたので、2ヶ月遅れでCellに発表することができた。今でもこの1993年の2つの論文が、この分野を開いたと認識され評価されている。これがPeter Walterとの第一ラウンドだった」と語りました。

 

この時はまだPeter Walter氏の顔も見たことがない状態だった森特任教授は、Ire1の発表後に日本へ帰国し、HSP研究所の由良隆教授のもとで研究を行いました。「HSP研究所では酵母UPRの転写因子を、マルチコピーサプレッサ法ではなく直接取り出す方法を考えなさいと言われた。いろいろなアイデアを検討したが、うまくいかずに頭を悩ませていたなか、ふと甥っ子と遊んでいるときに、ワンハイブリッド法を思いついた。ワンハイブリッド法の確立に半年ほどかかったが、Hac1という転写制御遺伝子を取り出すことができた。それをCellへ投稿したが、転写因子を取り出すだけではなく、Ire1とHac1がどのようにつながるかまで解明しないといけないということで、リジェクトされた。その矢先にPeter Walterがマルチコピーサプレッサ法でHac1を取り出したという話が舞い込んできた。また、先に出されてしまった。私のキャリアはもはやここまでかと落ち込んでいたところ、Cellに掲載される少し前の国際学会で、先輩の伊藤維明先生がPeter Walterに詳しく話を聞いてきてくれた。そこで、彼の解釈と私の解釈が違うということに気が付いた。これはまだ戦えるんじゃないかと思い、研究を続けた」と森特任教授は話しました。

 

1996年12月にいよいよPeter Walter氏との直接対決の場が訪れました。Peter Walter氏の本拠地サンフランシスコで開催されたアメリカ細胞生物学会の最終日のシンポジウムでの直接対決です。Peter Walter氏からは「無理せずに自分の得意なことだけを話せば良いよ」とプレッシャーをかけられた森特任教授は、その時の様子を『三方ヶ原の戦い』と例えます。『三方ヶ原の戦い』は、自身の領土を通過する武田信玄軍に対して、圧倒的な兵力の差にもかかわらず、徳川家康軍が挑んだ戦いです。結果は大敗でしたが、そこで武士のプライドを守ったことが、後々ほかの武将にも評価されて、天下統一に繋がったと言われています。森特任教授は「せっかくここまで来たんだから、腹をくくって言うことだけは言って帰ろう」と思って、学会に挑んだそうです。この1ヶ月ほど前に、森特任教授が、別の学会でPeter Walter氏とは別のことを考えていると話したため、Peter Walter氏は自身の説を補強するデータを持ってきていました。また、最終のスピーカーである森特任教授の発表は観客も少なく、客観的に見るとボロ負け状態だったと言います。「でも、ここで声をあげたことを評価する人が現れた。翌年の2月にこの辺りの分野の総説が出て、欄外ではあるが、森は独立してHac1を見つけて発表しており、スプライシングについてもPeter Walterとは違う解釈をしているということを書いてくれた。『戦う姿勢を見せる』ということは非常に大事だということを実感した」と森特任教授は話しました。

 

自説が正しいことを証明するために、森特任教授はその後もHac1に向き合い続けます。当時はPCRもDpn Iもなかったため、説の立証は困難を極めましたが、Peter Walter氏の説を補強するデータにすべて反論していく作業を地道に行い、1年ほどかかったものの、翌年の10月に論文として認められました。Peter Walter氏も自説の訂正を同じタイミングで行い、最終的には同日に公開されました。「自分たちの考えを信じてあきらめずにやったことが、証明につながった」と森特任教授は話しました。

 

森特任教授は「私とPeter Walterが激しい競争をしたことによって、分野全体が飛躍的に進歩した。その後はもうバトルをしたくないと考え、私は哺乳類UPRに研究分野を移していった。Peter Walterとは2002年5月に和解して、今は会えばハグする仲になった。今まで受賞した5つの国際賞はいずれも彼と共同受賞になっている。これも激しい戦いに生き残ったからこそのものだと思っている。来週スペインでコロナ禍以降ひさしぶりに会えるので、ハグして仲良く過ごしたい」と笑顔で講演を終えました。

 

質疑応答

その後の質疑応答では、農学や薬学の研究者を筆頭に、分子シャペロンやHac1、Ire1について詳しく聞きたいとたくさん質問があがりました。

 

また「大規模なスクリーニングを何度もされていたと思うが、若手の研究者や学生は比較的にそういったことが苦手な傾向がある。そこで折れないためには、どういった信念を持って研究を続ければ良いか、若手に向けてメッセージをいただきたい」という問いかけには「まず、ある程度長期計画を立てる。そして、覚悟と意欲を持っていて適性のある人を見つけ出す必要があるかもしれない。また、最初に成功体験が少しある方が良いかもしれない。自らの研究室では、もしそっちがダメならこっちというようなスタンスで、2つのことを同時に進めることが多い。Hac1を取り出す時も、同時に脂質配列の解析を進めていたのが良かったと思う。Hac1だけを取り出そうと思っていたら行き詰っていたかもしれない。覚悟と意欲を持って、成功体験を得て、そこで一度ちょっとチャレンジしてみよう!という段階に進むのが大事だと思う」と答えました。

 

 

講演後、オーガナイザーである岡本浩一教授(薬学部・副学長)は「ご講演から、研究対象に真摯に取り組み、あきらめることなく、権威にも負けずに自分の道を貫くことが大事だという信念を強く感じた。また、同じ実験結果を得ても、違った解釈を持って自身の説をさらに広げられたことは、研究の進め方として非常に大切なことを勉強させていただいた」と感謝が述べられました。

 

最後に、小高猛司総合研究所長(理工学部・教授)から、閉会のあいさつがありました。小高所長は「研究者人生のすべてにおいて、超人的な覚悟と勇気を持って研究活動に取り組まれ、その成果が大逆転を可能にして、ノーベル賞の候補となる功績を作られたのだと改めて実感した。本日は薬学部・農学部を中心とした教職員と学生がたくさん参加している。本日の森特任教授の非常に熱いお話から、本当に多くの勇気をいただくとともに、研究活動に一層まい進しようと考えていると思う」と述べました。

 

また「名城大学総合研究所は、教員相互の共同研究推進を大きなミッションの1つとしており、特に研究センターにおける研究活動を推進している。本学には合計11の研究センターが同時進行しており、いずれのセンターもすばらしい研究成果をたくさん残している。本学は薬学部・農学部の2つの学部を同時に持つ、中部地方では唯一の私立大学であり、それらの2学部が理工学部・情報工学部と手を携えて、総合大学としての力をいかんなく発揮している。総合研究所は、そのつなぎ役を担っており、実は今年で30周年を迎える。そのような節目の年に、本学が推進しているライフサイエンス研究のトップランナーである森特任教授にご講演いただいたことは、望外の喜びであり、改めて感謝申し上げたい」と述べました。

 

本講演会は、森特任教授のすばらしい講演に対する感謝の意と、ますますの研究の発展を祈って、盛大な拍手とともに閉会しました。

 


 

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